別称: 重離 · Hexagram 30 · ䷝
離為火(りいか)とは、易経六十四卦の第30卦で、離卦(☲)を上下に重ねた八純卦の一つ。
離為火は六十四卦の第三十卦で、離(☲)を上下に重ねて成る。火はみずからの体を持たず、物に付いて燃える。卦辞は「利貞、亨。畜牝牛、吉」——正を守るに利あり、牝牛のような柔順を蓄え養えば吉であるという。
『大象伝』に「明、両(ふた)つながら作(おこ)る、離なり。大人もって明を継ぎ、四方を照らす」とある。この卦を得たときは明智・文采・世に顕れることを主るが、光明は何かに付いていなければならず、依るべき本を離れることはできない。
この卦の名は、珍しく経典そのものが定義を与えている。『彖伝』は「離は麗なり」と端的に訓じ、日月が天に付き、百穀草木が土に付くという喩えを添える。『序卦伝』は前の卦から受けてこう説く——陥り落ちたものは必ず何かに付いて依るほかなく、ゆえに離をこれに次ぐ、と。『説卦伝』はさらに別の取象を開いて、火となり、日となり、電となり、中女となり、甲冑戈兵となるとし、八卦を身体に配すれば離は目に当たるとする。後天八卦では、離は正南に居る。
定義があるからといって、議論が止んだわけではない。一派は『彖伝』を守り、厳格に付着の意に読む。一派は字の常義に拠って「離れる・分かれる」の意に読み、九四の「焚如、棄如」の辞を傍証に挙げる。さらに一派は折衷して、付くことと離れることを一事の両面とみる——何かに付いているものは、その付いている先を解くこともできるからである。卦辞の「畜牝牛、吉」が修養の工夫を説く語なのか、それとも吉を告げる決まり文句にすぎないのかについても、注家の取捨は互いに異なる。
卦の体は一陰が二陽の間に付いた形で、これを重ねれば明の上に明を加える。錯卦は坎為水であり、坎と同じく上下を倒しても形が変わらない。二爻から四爻、三爻から五爻によって成る互卦は大過で、これは構造の上の示唆である——明が盛りの極に至れば、みずから度を過ぎる勢いを帯びる。続くいくつかの爻辞が、まさにこの含みを表に出している。六二は中に居て正を得、辞に「黄離、元吉」と称する。文(あや)があって明るく、しかも中を失っていないという読みである。九三は日が傾く象を取り、盛りの極がみずから衰えを含むことを示す。九四は語気が最も烈しく、「突如其来如、焚如、死如、棄如」——明るさが拠り所を失い、ついにみずからを焼くに至ると、古来読まれてきた。
指摘しておくべき誤りが、もう二つある。第一に、光明を順調さの保証と取ることである——九三と九四はいずれも戒めの辞で、一方は衰えを言い、一方はみずからを滅ぼすことを言う。第二に、卦辞の「畜牝牛」を本当に牛を飼う話と読むことである。伝統はこれを、長く保ちうる柔順の象とみてきた。実占では、この卦は名声、試験、文書、演芸、そして表に現れることを要する事柄に多く用いられる。隠れていることに頼って成る事柄については、これを利とはしない。
坎と離の対は、後世の膨大な象徴語彙の下敷きであり、通行の卦序の末尾に置かれた、水と火が交わって成る二つの卦もここから出ている。他の八純卦と同じく、三画の離(☲)は構成要素が与える性質にすぎず、一つの完結した局面ではない。実用の上でより比較に値するのは乾為天である——両者はともに明を主り外に向かうが、分かれ目は明の程度ではなく、明がどこから供給されるかにある。乾の健は内から起こると説かれる。
この卦においては違います。この字は日常の用法では確かに離れる・分かれるの意を持ち、誤読の多くもそこから来ています。しかし『彖伝』は卦名の訓を「麗」と定めており、すなわち付着し依存するという意味で、日月が天に付き、草木が土に付くという喩えを添えています。この卦が説くのは、依るところと何に拠って立つかであって、離れ去ることではありません。ただし古来、分離の意を取るべきだと主張する注家も少数ながらいます。
伝統では、明智、文采、世に顕れること、そして人の目に触れる事柄——名声、試験、文書、演芸など——と結び付けて説かれます。卦を断ずるときには通常、いま目の前の事柄は結局のところ何に拠って立っているのかを一度問い返します。この卦の危うさは、まさにこの一問にあります。控えめにすることや目立たずにいることに頼ってはじめて成る事柄については、この卦を得ても利とは見ません。
六二です。この爻は下卦の中に居て正を得ており、爻辞に「黄離、元吉」と称します。黄は伝統的に中に配される色で、偏らないことを取ります。古来、明るくありながら分を守り、光がありながら節度を保つ爻と読まれてきました。これに対して九三は日が傾いて暮れかかる象を取り、九四は全卦のなかで最も語気の重い爻です。
両者が構造の上でまったく反対だからです。どちらか一方の六爻をすべて変えれば、もう一方になります。坎は陽が陰に陥った形、離は陰が陽に付いた形です。一方は正北に位置し、他方は正南に位置します。一方は水で、他方は火です。さらに両卦はともに上下を倒しても形が変わらず、経の全体でこの性質を持つ卦は少数にとどまるため、伝統はこの二つを固定した一対として扱います。
どちらも『説卦伝』に出ています。八卦を身体に配すると離は目に当たり、明を主り見ることを主るという取象と合います。同じ篇が八卦を一家の者に見立てて論ずるところでは、離は中女であり、乾の体が中位に坤の陰爻を得て成ったものとされます。六画の離為火は三画の離を上下に重ねて成るので、これらの配当をあわせて受け継ぎます。いずれも卦を解くために用いられる伝統的な象徴であって、人体の構造についての主張ではありません。